ネバーエンディング

終わらない架空の日記をつけています

労働対価

 

 

 

 

 

 日記というからには毎日つけるべきだという既存のステレオタイプに反目してみる。まあ嘘だ。単純に気が向かないときは書けないという至極面白みのない理由だったりするし理由などとラベリングしてやるのもおこがましい。別段、何文字でいくらと誰かから報酬を得ているわけでもないので心底どうでもいい。あまりにも無為な行動だけれど生まれてからいちども日本語を嫌いになったことがないのでこれからも終わりがやってこない限り仲良くやっていきたいものである。

 

 わざわざ与えられた休暇をまるごと労働に捧げていたせいで心身ともに居所が悪いような気がしている。巷で流行りの自己肯定感みたいなものを手っ取り早く上昇気流に乗せるにはやはり確固としてわかりやすい見返りを得るに限ると思っていて、労働というのは対価に現金を用意してくれるあたり非常に気前がいい。平等かつ公平に存在意義を認めてもらえるので帰路につくときなんかはそりゃあもうるんるんだ。シンと冷たい空気の真ん中に剥き出しの顔を突っ込んでぐいぐい押し進んでく。晴れだか曇りだかわからんような暗鬱とした色の空にこころは安らぐし、煌々と灯るコンビニエンスストアの看板は空気の読めないお調子者が持つ寂しがり屋な側面を感じさせるので愛しいと思う。自販機で買った練乳入りコーヒーの缶を両手で指を組み替え組み替え握りしめてアスファルトの上を進む。いつのまにか気持ちがしぼんでいて涙がじわじわと下瞼に溜まり始めるしそういうときに限って向こうから通行人がやってきたりするから厄介だ。泣く瞬間すら自由に決めさせてもらえない人間社会、ほんと、なんなんだろ。労働に対価を支払ってもらって存在価値を一時的に認めてもらって、そんなところで何かが劇的に変わるわけもないのに浮ついた気分になっていた自分が愚かしくてさらに落ち込むし玄関の扉を開けた先にコンセントに差しっぱなしの電気ケトルを見つけていよいよ崩れ落ちるしかなくなった。しばらく自分だけに向けられた言葉を耳にしていない。挨拶だけでもいいから自分をひとりの人間として捉えてくれる相手からありったけのここにいてもいいんだよを込めて何か言葉を投げてほしい。切実な思い。誰に叱責されたわけでもないのに暖房を自粛しているから布団にくるまって二度三度とくしゃみをした。手足が温まるにはまだまだ時間がかかりそうで人体の非効率さに辟易する。寒いと感じるのなら風邪のひとつでもひいてくれれば愛嬌もあるかもしれない。だのに頑丈なだけが取り柄なものだから適度に苛々させる微細なバグを発生させるだけでたいした事故事件にもならないままでいる。同情も心配も、これっぽっちでは何ひとつ買えない。